A級戦犯は存在するか?
今日、A級戦犯が話題にされる時、国内でしばしばこの議論が起きるが各々の言い分は概ね次のようになるだろう。
まずA級戦犯やB・C級戦犯とは、連合国が戦争犯罪で裁いた者達であり、あくまでも連合国側の視点から見た戦争犯罪者である。
国内法で裁いた犯罪ではなく、日本国内では犯罪者ですらないわけで、本来は我々日本人が同じ日本人を戦犯と呼ぶ事は間違いなのである。
ただしこれは解釈の違いであり、戦犯と言う言葉を指した場合「連合国に裁かれた戦犯」という意味にも取れる。よって一概に、国内に戦犯がいないとは言えないわけだ。
A級戦犯論争
存在するか否かで論争の焦点になるのは、国際法の『アムネスティ条項』というものだろう。
特に右側の人達は、この『アムネスティ条項』が大好きなのであるが、これは国際法上「すべての戦犯は、その国同士で平和条約を結んだ時点で、その判決の効果を失う」つまり簡単に言えば無罪放免になるというものだ。
日本において、この平和条約にあたるのはサンフランシスコ条約であり、1951年に中国以外の旧連合国と調印された。
国際法の解釈で言えば、サンフランシスコ条約を結んだ時点で日本におけるすべてのA級戦犯とB・C級戦犯は無罪放免になり存在しなくなるという事になる。
そうなると、国内外問わずA級戦犯は存在しないという事になるわけだが、実はそう簡単に行かない事情があったのだ。
1951年に日本はサンフランシスコ条約に調印することで、アメリカの占領下から独立し復権を果たすわけだが、調印の際にある条件を突き付けられた。
それは、「東京裁判や連合国戦争犯罪の裁判での判決を受諾する」という内容である。
簡単に言うと、「国際法上は戦犯の罪は放免されるが、日本にはそれを認めない」という条件である。つまり、A級戦犯やB・C戦犯は「今後歴史の上で永遠に戦犯として名が刻まれる」という事を意味しているのだ。
だが日本は独立と引き換えに、この不平等ともいえる内容を受け入れる事になった。そして、A級戦犯やB・C戦犯は未来永劫、汚名を残す事になったのである。
現在に至るまで日本国政府は、このサンフランシスコ条約の内容を継承し続けている。
その後、日本国政府はこの戦犯達へせめてもの償いとして、国内における名誉の回復を超党派で進めてきた。
靖国神社は戦死者以外を祀らない事を信条としていたが、A級戦犯の刑執行による死を公務死としこれを『昭和時代の殉難者』として合祀したのだ。
このように国内では今でも、名誉の回復の為に努力が続けられている。
しかし、サンフランシスコ条約を政府が継承している以上、戦犯達は旧連合国側から見れば、現在進行形で存在している事になるわけで、正式に名誉回復したとは言えず、これが現在でも賛否両論になる理由である。
しかしながら、今日、日本が独立し平和であるのは、汚名を背負った戦犯達の犠牲の上に成り立っている事は、間違いなく事実であろう。
中国と韓国がA級戦犯と言う資格はない
始めに、これは日本が起こした戦争による中国・韓国への被害を弁明するものではなく、国際法上の概念である事を断っておきたい。
先にも述べたが、A級戦犯やB・C級戦犯というのは、当時の日本と連合国との戦争により連合国戦争犯罪で裁かれた者をいう。
つまり連合国以外の第3国からすれば、A級戦犯やB・C級戦犯は犯罪者でも何でもないのだ。(繰り返しになるが、連合国以外に日本が戦争で与えた被害の責任が無いという事ではない)
今日、A級戦犯と騒ぎ立てるのは中国と韓国である。
当時日本が戦った連合国の中国は中華民国であり、現在の中国である中華人民共和国ではない。
現在の中国は1949年に共産党(中華人民共和国)が国民党(中華民国)を駆逐して作った国であるわけで、そもそも全く国が違うのだ。
因みに日本は中華民国(台湾)とは1952年に平和条約を結んでいる。
かつて朝鮮であった現在の韓国は、当時は大日本帝国領土である。
現在の韓国がこれを受け入れられないのは当然理解をするが、当時の国際情勢では朝鮮半島は大日本帝国領土であり、朝鮮人は大日本帝国の国民であったことは史実である。
つまり現在の中国も韓国も当時連合国側にはいなかったわけであり、この2カ国がA級戦犯と発言するのは、全くの間違いなのである。
A級戦犯は悪か?
「私のような人間は愚物も愚物、罪人も罪人、ひどい罪人だ。私の如きは、最も極重悪人ですよ」
これは東条英機が晩年に語った言葉である。
太平洋戦争(大東亜戦争)というものは、15歳から45歳までの男全てを徴兵し、国民の財産すべてを戦争につぎ込み、国土のすべてを費やして戦った戦争である。
その結果300万人以上の命が亡くなり、敗戦後の日本には何も残らなかった。
国の指導者は敗戦に向かっていると知りながらも、それでもなお兵士を戦場に送り込み、その殆んどは餓死や病気で死んでいった。そして降伏の時期を見誤り、国土は焼き尽くされ最後には核を投下され、何十万もの非戦闘民が犠牲になったのである。
私はA級戦犯というもの自体は、不当であり国際法の解釈においても無罪放免であると思っている。
しかしどうしても、彼らに指導者としての戦争責任は追及してしまう。
彼ら指導者に罪が無いといえるのだろうか?
時代だから仕方なかったと言えるだろうか?
靖国神社の『遊就館』という所へ行くと、最後に戦没者の遺影が祀られている場所へ辿り着く。
その中には、まだ十代であろう幼い顔がいくつもあるのが伺える。
私はそれを見ていつも胸が締め付けられるような思いがするのだ・・・。
結局は政治、結局は国民。
大日本帝国と言うのは、信じられないかもしれないが、驚くほど健全な法治国家であった。
結果的に軍部が暴走し戦争に向かったが、それは統帥権という憲法の効力が働いたものであり、そもそも統帥権が過大解釈されるようになった原因は、帝国議会での野党の発言によるものである。
戦争が進むにつれ、帝国議会(今の国会)は大政翼賛会という一党政党により牛耳られることになるわけだが、この一党政党が出来た背景は、議員同士が国家の有事に備え手を取り合って結束したものであり、今でいう大連立のようなものである。
大政翼賛会はよく日本のナチスと言われるが、ナチスや中国共産党のように他の政党を武力で弾圧し排除したものではない。
意外に思われるが野党も少数ながら存在し、戦時中の1942年には選挙もちゃんと開催されていたのだ。
結局は大政翼賛会のほぼ一党独裁となり、国家総動員法が作られ、日本はすべての人員と財産を兵力と戦争につぎ込むわけだが、しかし元々これらは国民の選挙で選ばれた議員によって決議された法であった。
「国民のレベルと政治のレベルは常に一定である」
これは私が好きな言葉で、「どちらかが一方的に愚かで、一方的に優れているなんて事は起こり得ない」という解釈である。
太平洋戦争というものは、決して一部の権力者や独裁者によって始められたものではない。
当時の日本は憲法が機能しており、議会も機能しており、選挙も行われていた。
軍部の暴走も一党独裁も、憲法による法令を順守したものであり、軍や政府が暴力的に法を捻じ曲げ押し進めたのではない。
つまり結局は、国民が選んだ政治により戦争へ突入し、そして敗戦したのである。
大日本帝国は健全な法治国家であった。しかし憲法は欠陥だらけであり、また、決して健全な民主主義国家とは言えなかった。
だが現在の日本は当時と違い、女性にも参政権が与えられシビリアンコントロールも機能し、より健全な民主主義国家として確立されている。
健全な民主主義国家とは、政治に及ぼす国民の声が大きくなるという事であり、政治の暴走・政治の混乱などの間違いは、最終的には国民である我々が、正しい方向に導く事でしか救えないのである。