スコットランドの独立は否決され、今まで通り「UnitedKingdom」の一国として存続する事になった。開票結果は、賛成44・65%、反対55・25%、無効票0・1%となり、10ポイント以上の差で否決が確定した。
反対票が上回った原因は、やはり独立派の主張の甘さにあった。独立後のビジョンがあまりにも不透明であり、先行きの不安は隠せなかった。私自身もそれは大きく感じており、万が一に独立が叶っても現政権下での国家運営は不可能であると見ていた。当然、私が気付いた事を当事者の住民達が気付かぬわけがなく、この結果にひとまずは安堵した。もっとも、一番安堵しているのはスコットランド行政府自身ではないだろうか?
しかしながら、今回の投票は独立すれば失敗・しなければ成功であるわけで、結果としてイギリスは自治権の拡大を認めざるを得えず、スコットランドにとっては大きく未来が開けたと言える。
裏を返せばイギリスは得たものはなく、完全なる敗北を喫したとの見方も取れるだろう。
英国内に波紋を広げる独立運動
もともと今回の独立騒動は、イギリス政府が焚き付けたものであった。2012年の両首相の会談時に、スコットランド側は独立か否か以外にも第3の選択肢を模索する事を提示していたのだが、イギリス側は強気に二者択一での住民投票を推したのである。本来、独自の議会を持って10年弱しかたたない地方政府が、いきなり独立か否かを住民投票で決めるなど、あまりにも極端すぎる話であり、極端すぎる故に独立など起こるはずがないとイギリス側は高をくくっていたわけである。しかしこれは、完全なイギリス政府のおごりであり、結果として、「かつて世界の半分を有し『日の沈まぬ帝国』と言われた元大英帝国のイギリスは、その支配下にあった大半を失っただけではなく、もはや自国にさえも影響力を発揮できない弱小国と成り下がった」と国際社会に露呈する事になってしまったのである。
それは当然、国内にも大きく影響を及ぼす。
イギリスはイングランド・ウェールズ・スコットランド・北アイルランドの国からなる連合王国であり、抱える独立問題はスコットランドだけではなく、ウェールズや北アイルランドにも存在している。実際にはウェールズの独立は非現実的である。ウェールズはスコットランド以上にイングランドとの連合関係は古く長い。ユニオンジャックにもウェールズ国旗の要素はなく、建前上は連合王国の一国であるが、事実上「=イングランド」と考えても間違ってはいないだろう(ウェールズ人は激怒するだろうが)。さらに、スコットランドのように『北海油田』と言う確固たる後ろ盾もなく、現実問題として独立のメリットは限りなくゼロに近い。
だが北アイルランドは、全く話が別である。
<再発なるか?北アイルランド問題>
イギリスは最近まで、「北アイルランド問題」を長きに渡って抱えて来た。
この北アイルランド問題は、複雑でとてもこの場だけで話を収めることは出来ないのだが、可能な限り要約したい。
スコットランドに北海油田という後ろ盾があったように、北アイルランドにはアイルランド共和国という後ろ盾が存在する。そして、スコットランドともウェールズとも違うのは、北アイルランドは独立ではなくアイルランド共和国との統一に話がなる点だろう。経済的にも国際的地位においてもイギリスと連合関係を築いている方が遥かに有利ではあるが、そこはアイルランド民族のナショナリズムの問題であり、特に一番話をややこしくするのが宗教の問題である。一概には括れないが同じキリスト教でありながらも、アイルランドはカトリック系でイギリスはプロテスタント系の構図になり、この宗教観の違いによる誤解が長きに渡り血なまぐさい抗争を生んだ原因となってしまったのだ。
アイルランドは1801年から事実上イギリスの植民地とされてきたが、様々な独立運動を経て、英愛条約により1922年にイギリスの完全統治から半独立の形で『アイルランド自由国』となった。だが、イギリスからの完全独立でない事に不満を持つ勢力がこれに反発し、『アイルランド内戦』が勃発してしまう。これに嫌気がさしイギリス側に帰属したいとするグループが現れ、改めてイギリスへ再編入したのが現在の北アイルランドである。だが、このイギリスへ戻る事を選択したこのグループの大半は、元々のアイルランド民族ではなくイギリスからこの地へ入植したイギリス人であり、その殆んどはプロテスタントであった。
アイルランド人が長年イギリスへ抵抗してきた背景の根底にあるものは、宗教観の違いによる所が大きい。北アイルランドはイギリス本土へも近く、議会もプロテスタント系が多くを占め、少数派のカトリック系のアイルランド人はこの地で差別をうけ虐げられてしまった。これに不満を持つカトリック勢力が一部でテロ活動を行い、プロテスタント勢力がそれに報復するという、この報復による報復の連鎖が『北アイルランド問題』というわけだ。しかし、これは宗教問題だけで片付く話ではなく、民族アイデンティティやナショナリズム・地域格差などが込み入り、結果として双方に多数の犠牲者が出てしまった問題なのである。
イギリスから北アイルランドへ渡った入植者達は、イギリスの政策によりスコットランド人が大半を占めていた。そのスコットランド人の故郷が、皮肉にも今回の独立運動の舞台となったのである。この現実は少なからず、北アイルランドのナショナリストを刺激する事になるだろう。
その時、はたして武力を用いる事なくお互いに民主的な方法で、解決の道が探せるだろうか?
民主主義の愚かしさ
今回の結果で気になったのは、この結果を日本の報道機関が「反対が大差で勝利」と報じた点だ。たしかに10ポイント以上の差をつけての否決であったが、これを大差と呼ぶには少々無理がある気がする。まぁ、この表現自体はイギリス政府への配慮であった(外交的メッセージ)と考えるが、実際の結果は、拮抗とまでは言わないが僅差での票決であった事には間違いないだろう。
今回の投票の登録有権者数は約430万人で投票率は84・5%となり、実に約360万人が投票に参加した事になる。これを各獲得票数の比率で計算すると、賛成が約160万票に対し反対が200万票で、その差は約40万票になるわけだ。これが「反対派が400,000票の差で勝利!!」という見出しなら、ゼロが5つもあり大差をつけて勝利したと見る事もできる。
しかしこれは同時に、敗者側の1,600,000人の意見が葬り去られたという事でもあるのだ。
私は前回、今回のスコットランドの独立住民投票は極めて民主的であり、極めて非暴力的な行為である事から、人類の歴史上において大変価値のある出来事である、と書かせてもらった。だが実際には民主主義とは中々厄介なものであり、実に理不尽なものである。特に今回のように拮抗した状態での多数決は、結果が生じた後にも遺恨を残す事になるからだ。100票のうち勝ち票が70で負け票が30なら「負けた方の少数意見を奥に引っ込めるのはやむを得なし」と考えても仕方ない事であろう。しかし100票のうち勝ち票が51で負け票が49だったら、これはほぼ半数であり少数意見とは言えず「この半数近くの意見を闇に葬り去るのは余りにも暴挙である」と言えるのではないだろうか?
「民主主義とはとてつもなく愚劣で手間のかかる方法だけれども、ほかに方法がありますか?」(三宅久之)
我々は今日、民主主義と言う社会をほぼ疑うことなく受け入れているが、民主主義は未だに発展段階であり未成熟のものかもしれない。
少数意見の抹殺が、過去に多くの悲劇を生み出してきたのは事実でもあるのだ。
かつて世界に君臨した大英帝国であるイギリスは、この半数という大きな少数意見を肝に銘じ、願わくば、新たな民主主義への足掛かりを世界に先駆けて作って欲しいと思う。