今朝の新聞各紙でほぼ1面に、昨日の25日に広島市は20日に発生した土砂災害における行方不明者の情報を公表したという内容が掲載されていた。
私は広島市のこの対応は全く理解が出来ない。
今回この行方不明者の発表まで、災害があった20日から5日も経過しているからだ。
その5日間、学校の友達も、遠く離れた親戚達も、あるいは仕事で海外にいる兄弟達も、被災者の安否が確認できないという事である。
未明に突然起きた大災害で、全員が携帯電話を持って逃げれるわけでもない。
また救助活動において、行方不明者の情報が予め分かっていれば、ピンポイントで対策がたてられ、生存率も上がるはずである。
なのに、なぜそんな当たり前のことができないのか・・・
災害時のプライバシー
発表の遅れは何も広島市だけが悪いという訳ではない。
これは一種の社会現象であると私は考える。
事実、市側には発表したくても簡単にできない理由があったのだ。
その理由とは、『個人情報保護法』(正式名称:個人情報の保護に関する法律)の存在である。
行方不明者の氏名は個人情報にあたり、もし市が外部へ公開すれば、「プライバシーの侵害だ」と反対する住民も、少数ながら出てくる事が予想される。
そんな未来の反対派に気を遣いすぎた事が、結果として情報開示の遅延を招いたのだろう。
実際に、今回だけに限らず過去に起こった災害においても、こうした個人情報の取扱が障害となり、本来開示すべき情報が公開できず、いたずらに現場の混乱を招いてしまった事例が数多くあるのだ。
だが、少々過剰反応を起こしすぎではないだろうか?
もし、このように個人情報に対して過剰な反応が続けば、この先、次のような話も有り得るのではないか?
ある住宅地で災害が発生し、仕事に出かけていた夫が自宅にいた妻の安否を確かめるべく、被災地へ駆けつけた。現地に到着した夫は、そこで救助活動をしていた救助隊員に妻の安否を尋ねた。
すると救助隊員は、「個人情報保護法により、お教えできません」と答えた。
どんなに聞いても同じ事の繰り返しなので、夫は自ら被災地を回った。しかし、妻の姿はどこにも見当たらない。もしや、病院に運ばれたのではないか?そう思った夫は急いで近くの緊急病院へ行き、受付で妻が搬送されていないか尋ねた。
すると受付の人は、「個人情報保護法により、お教えできません」と答えた。
それから夫は、次の病院もその次の病院も同じことを言われ続けたのだった。
これはあくまでも例え話ではあるが、今の社会では、『個人情報保護法』の名の下で、このような状況になる可能性は十分有り得るのである。
過去の例では、この法令が施行された直後に起こった2005年の『JR福知山線の脱線事故』において、被害者の安否確認をその家族へ公表するか否かで病院側が混乱したと報道され、問題になった。
このように、災害時において『個人情報保護法』という存在は、大変不便なものであり悪法以外の何物でもないように見えてしまう。
しかし、それは多くの人が間違って解釈しているだけなのだ・・・。
実は個人情報を全く守っていない個人情報保護法
個人情報保護法は2003年に成立し、2005年4月に施工されたものである。
この法律が成立された経緯は省くが、この法が成立される事で国民は自分の個人情報が法によって守られると思ったに違いない。
だが、そう思った人の多くはこの法律を勘違いしている。
この法律は個人情報を全く守ってくれない法律なのだ。
そもそも個人情報保護法とは、特定の個人情報取扱事業者*1だけに有効な法律なのである。
そして法律の内容は個人情報の管理体制を定めただけに過ぎず、さらに驚くべき事に、この法を犯したものに直接与える罰則が存在しないのだ。
時折、どこかの企業から個人情報が流出したとニュースになるが、その後処分を受けたというニュースは聞いた事がないと思う。つい最近の、ベネッセが起こした情報漏洩騒動も、結局は代表者が謝罪しただけで終わりである。
つまり、『個人情報保護法』を簡単に言えば、特定業者に「個人情報の取り扱いはきちんとやりましょう」と言っているだけのものであり、もしも出来なかった場合は「しかたないですね。次は頑張りましょう」といった程度のものに過ぎないのだ。
先ほども触れたが、この法律は個人や個人情報を扱わない一般の企業には適用されない。
仮に『2ちゃんねる』に誰かの個人情報を書き込んだとしても、『個人情報保護法』でそれを裁くことはできないのである。(ただし権利侵害にあたる)
しかし、国民側はこの法律を深くそして重く受け止めた。
プライバシーを侵害するような行為は「個人情報保護法に違反する」と勝手に思い込み、それが重罪であるかのように過大解釈してしまったのである。
それにより、今では個人情報取扱事業者に該当しない一般企業までが、個人情報を徹底して管理をしているのだ。
だが、これは決して悪い事ではない。
個人情報保護法は、個人情報を全く守ってくれない法律ではあるのだが、その事実を国民が全く認識してないとしても、結果的に自らの手で、憲法第11条の基本的人権のあり方を、向上させる方向へ進んだのである。
この法律の作り手も予想しなかった奇跡が起こったのは、日本人の持つモラルの高さである事に疑いはないが、しかし、やはり少々毒され過ぎている気がしてしまう。
やはり広島市に怒り
個人情報保護法は公共団体には適用されない。
公共団体の個人情報の取り扱いは、それぞれの地域の条例で定められている。
これは各地方で表現にバラつきはあるものの、概ね内容はどこも同じであると思ってよい。
広島市の、広島市個人情報保護条例*2の第8条には、次のような理由の際は個人情報を開示しても良いと書かれている。
(4)人の生命、健康、生活又は財産を保護するために緊急かつやむを得ないと認めて利用し、又は提供するとき。
「今回の災害のどこがこの条例にあたらないのだ!!」
たしかに、国民が『個人情報保護法』を過大解釈している現在、市制の一方的な判断による情報公開に対し、ある程度の反発が起きる事は予測されるだろう。
過去に他の地方で、災害時に情報公開され被害を受けたという人も実際存在している。
だが少数意見を気にするあまり、大義を見失ってはいないだろうか?
情報公開そのものは、違法でもなく条例違反にもならないわけであり、これを堂々と公開する義務が市側にはある。
『人の命』と『役所に来る少人数のクレーマー』を天秤にかける事自体が、大きな間違いだ!!
ただこれは決して広島市だけの問題ではなく、社会全体の問題であると思う。