Youright的な見解

あくまでも私的な見解である

東京裁判について語ってみる:その2

東京裁判が不当なものであった事は前回述べた通りだが、元々この裁判が始まるにあたり、日本側は戦勝国による一方的な裁きになることを覚悟し臨んだ。

なぜなら、日本は戦争に負けたのである。

 

この裁判が今も賛否両論に意見が分かれるのは、不当か不当でないかの議論ではなく、この裁判がもたらした影響にある。

戦後の日本にとってこの東京裁判が、どのような影響を及ぼしたか?

そんな意見が分かれるこの裁判は、そのような意味をもっていたのか?

 

シビリアンコントロール

組織で何か不祥事が起きれば、責任を取るのはトップである。

会社であれば社長にあたるわけだが、当時の日本を会社と見た場合にA級戦犯達はせいぜい部長クラスの者達であった。

当然ながら社長は、国家元首である天皇である。

現在の日本に憲法国家元首の定義はないが、事実上の最高権力者は内閣総理大臣であり、自衛隊(=軍)を指揮する最高指揮官でもある。

しかし戦前の内閣総理大臣職は、軍を統帥する権限は持っておらず、軍隊を指揮監督する最高の権限・統帥権を有していたのは、大日本帝国憲法上では天皇のみであった。

これが戦前の日本の最大の欠陥であり、悲劇であったといえるだろう。

 

シビリアンコントロールとは文民統制という意味で、国民に選ばれた国会議員によって軍部をコントロールするという意味であり、近代民主主義国家の基本的な概念である。

戦前の日本は、よく「軍国主義国家で軍部が勝手に暴走した」と、このように言われるが、もともと憲法シビリアンコントロールの定義がなく、軍部をコントロールできるのは天皇のみであるとされていた。

それがいつからか「軍は天皇以外の命令は受けなくてよい」と過大解釈されてしまい、政府(帝国議会)の命令を聞かなくなり、結果として軍部が暴走した形になったのであるが、それ自体は憲法上どこも違憲ではなかったのである。

当然、この体制に無理があった事は明らかだろう。外交交渉や予算編成は政府が行うものであり、実際に戦時中も政府は機能を果たしていた。しかし、軍部は統帥権を盾に戦時状況の報告などを行わないわけである。

日本の戦局が有利か不利かもわからず、敵国と外交交渉などできるはずがない。

こうした政府と軍部が二元化して行くことに危惧し改善に努めようとしたのが、後に日本の戦争指導者と言われる東条英機であった。

 

東条英機ヒトラーではない

A級戦犯であり日本の敗戦の原因を作ったとされる東条英機は、軍人であり国民から選ばれた議員ではなかった。彼は戦時中に陸軍大臣から内閣総理大臣(兼務)に任命され、最終的には様々な役職を兼務し権力を掌握してゆく事になる。

よく東条英機を日本のヒトラーと表現する者がいるが、それは全く史実を知らない者が言うトンチンカンな意見である。

なぜなら彼は決して独裁者ではなかったからだ。*1

 

現在の内閣総理大臣は国民から選ばれた国会議員に選出され任命されるが、当時は元老(古い世代の権力者)や前総理職などが、ふさわしい人物を選出・推薦して最終的に天皇が任命する。といった具合に、極めて曖昧な選出方法だったのである。

東条英機もこのようにして、内閣総理大臣になったわけだ。

当時、東条が推薦された理由には諸説あるが、概ねの見解は、陸軍大臣の職にあった者に内閣総理大臣職を兼務させることで、政府と軍部を協力させ一元化させる目的だったとされている。

そして何より彼は天皇を絶対的に崇拝していた。

昭和天皇は戦争行為に対し「実際は否定的な御考えをお持ちになられていた」とされている。

政府にとって軍部の暴走を防ぐ最後の砦は天皇しかいないわけで、天皇に絶対服従であり陸軍に影響力を持つ東条が政府側に立つことで、軍部にブレーキを掛けるという仕組みである。事実、東条は政府と軍部を歩み寄らせる努力をしており、政府と軍部の関係は改善に向かうと思われた。

だが、太平洋戦争を機にそのブレーキの効果は失ってしまうのだった。

 

真珠湾攻撃以降それ以前は陸戦がメインだった日本軍は、徐々に海戦にウェイトがシフトされていく。当然の事ながら、今まで以上に陸海の連携は必須であった。

だが当時、足の引っ張り合いがあったのは何も政府と軍部だけではなかったのだ。軍部においても陸軍と海軍がお互いに統帥権天皇のみにあるとし、両者とも情報を出し渋るなど足の引っ張り合いが見られ、連携もうまく取れていなかった。実は、ここでも二元化が進んでおり、大日本帝国は政府・陸軍・海軍と二元化ならぬ三元化していたのである。

 

東条は陸軍大臣内閣総理大臣を兼務することにより、政府と陸軍をかろうじて一元化することはできたが、海軍を監督下に置くことはできなかった。

そうして陸軍と海軍の二元化は、ますます戦局を悪化させて行く。このような絶望的状況を打破すべく、遂に東条は参謀総長の座に就き、行政の長・陸軍の長・参謀の長の三職を兼任し権力を集中させる。がしかし、それでも軍部をまとめる事は叶わず、敗戦色が濃厚になる終戦の前の年に、全ての職から退陣させられてしまう。

 

東条英機は、のちに日本の戦争指導者として、後世に渡り悪名が伝えられる事になるが、彼は散々苦悩し努力した挙句、結局は最後まで政府と軍部を一つに出来なかった哀れな男でしかない。

もし彼がヒトラーだったら、全てを一元化することは可能だったろう。

しかし残念な事に、彼には絶対的権力もカリスマ性もなかったのである。

 

結局は東条英機の役職というのは、日本と言う会社組織で権力を有する取締役などではなく、所詮は経営陣から持ち上げられ、営業部長・総務部長・経理部長を兼任した程度の統括本部長なのだ。

そんな本部長や部長クラスの中間管理職の者達に、日本の全ての戦争責任を負わせたのが、東京裁判なのである。

 

日米の生贄になったA級戦犯

東京裁判が行われる前に連合国側では、天皇の戦争責任を追及し裁きにかけるか否かという意見が物議を醸す事になる。特に当時のオーストラリアは日本人が大嫌いだったので、天皇を処罰することに熱心だった。

だが、アメリカはこの意見に大きく反対した。

 

株式会社日本国は経営不振により、財政破たんした。その破綻した会社を財政再建(占領統治)することになったのが、外資系企業アメリカである。

アメリカはこの日本国と言う会社を再建するにあたり、まずこの会社がどういう経営をして破綻したのかを分析した。

すると妙な事がわかった。この会社の社員は、何より社長を心の底から崇拝し・尊敬をしており、また社長も大変な人格者で社員を思い常に親身になって考えていたのだ。

ここで、外資系企業アメリカの予想は覆されたのだった。

彼らは日本国と言う会社は、社長が独裁的な経営者であり、権力で社員達を掌握し、恐怖心を与え・操ることで経営されたものと、考えていたのである。

実際そのほうが財政再建は簡単であった。社長のクビを切れば社員達は解放され、それを退任させた自分達が英雄扱いされる事で、その後の経営がうまく運べるからだ。

しかしながら、社長と社員の信頼関係は揺るぎないものであり、社長の為なら命を賭して仕事をする覚悟を、社員達は持っていたのだ。

こんな会社で、もし社長に経営責任を取らせ、自分達が新しく経営者の椅子に偉そうに座ろうものなら、社員は自らの生活を犠牲にしてでも暴動を起こしかねない。そうなれば、財政再建はより難航し長期化する恐れがある。

それよりも社長を残し友好的になることで経営に参加すれば、社員達を効率よく管理できるわけで、再建もより簡単になるのである。

当然、いつまでも社長に権力を持たせるわけにはいかない。徐々に力を削いで行き、将来的には自分たちの意のままに社員と会社を操るのが目的であった。

結論は、社長に経営責任を取らせ退任させることは難しいと判断した。

だが株主達を納得させる為には、誰かが責任を取る必要性がある。

社長の次は取締役である常務や専務だが、この者達は元老や財閥と言われる幽霊社員のような存在であり、いまいち経営責任の有無が掴めなかった。また、アメリカ企業に友好的で協力的であるなど、したたかさも持っており、残す方が有益に働くと判断され処罰は見送った。

 

さて、実際この会社の運営は、取締役から選ばれた内閣や大臣と呼ばれる管理職が社員を監督し行っていた。つまり、経営不振に陥った最大の原因は、実際に社員を監督していた管理職の怠慢によるものであったのだ。

この管理職たちは特に社員から慕われているわけでもなく、取締役連中のようにアメリカ企業に有益になるわけでもなかったので、処罰するには最適な者達であった。

だが問題もある。本来会社の不始末の責任は、経営陣である社長や取締役が負うべきであり、それらを処罰する事無くその全責任を、たかだか管理職程度の者にすべて押し付け処罰する行為に、当人達が納得するかであった。

もしここで管理職達が自分達の責任を否認し、社長や経営陣に対して経営責任を追及する事になれば、経営再建は泥沼化してしまうのである。

しかしアメリカ企業はある事に気付いた。

管理職もまた社員の一人であり社長を尊敬し、その為には自らの生活を捨てでも忠義を尽くす覚悟を持っていたのである。

そこに目を付けたアメリカ企業は管理職達に、社長に経営責任を問わない代わりに、全責任を負い犠牲となるよう、取引を持ち掛けたのだった。

 

社長の為と言われて、断わるわけにはいかない。

取締役達の多くは、むしろ喜んで社長と社員・そして会社の為に犠牲になる事を望んだのである。

 

こうして、アメリカにとっては占領統治の為、日本にとっては2000年以上も続くと言われる天皇制を存続させる為に、A級戦犯は全戦争責任を負う生贄になったのである。

東条英機東京裁判で次のように述べている。

「開戦の責任は自分のみにあって、昭和天皇は自分たち内閣・統帥部に説得されて嫌々ながら開戦に同意しただけである」

この証言により、天皇の戦争責任は免訴されたのだった。

 

その3に続く

東京裁判について語ってみる:その3 - Youright的な見解

*1:ただし、ヒトラーを真似て演説を行ったりと、影響をうけていた部分はある