Youright的な見解

あくまでも私的な見解である

近現代史とは?

今朝の産経新聞の朝刊1面に、高校に近現代史新設を文科省が検討していると掲載されていた。

 

日本史の中で、近現代史とは言わずと明治維新後からの事をさしている。

現在我々が受ける日本史は、古代~江戸時代に長い時間を割り当て、明治維新後の近代史は短い時間で詰め込んで終わる、という教育方式が取られている。

以前から、この近代史+現代史=近現代史を学ぶ時間が、短すぎるのでは?という声が世論の一部からは問題視されていた。

だが仮に日本の有史を2000年と考えた場合、授業の時間を比率だけで見ると、明治元年は1868年で、そこから現在に至るまでの近現代史に当たるのは150年程度となり、短くなるのは当然やむを得ないだろう。

また現代史の部分においては、公民という教科で補われている部分もあるので、一概に近現代史の授業量が絶対的に少ないとは言えないのかもしれない。

 

しかしここで考えてみたい。

古代~江戸時代の歴史と近現代史を一括りにして日本史とすること自体に、そもそも無理があるのではないだろうか?

現在の世界で我が国が置かれている立場を明確に理解する為には、近代の歩みを学び、これを理解する必要があるだろう。

これらを十分に教育されて来なかった事が、今日の国際社会の場において、日本人が自らの国の立場を明確に主張できない要因になっていると思われる。

 

ネガティブリスト

時間が短く詰め込むような教育では、キーワードという形でしか頭に入らないのではないだろうか?

例えば、明治後の歴史をお題だけで見てみると

日露戦争第一次世界大戦・2・26事件・満州事変南京事件真珠湾攻撃ポツダム宣言 

このように、そのほとんどは戦争を連想させるネガティブなキーワードになってしまうのである。

これらのキーワードに対して中身が無ければ、明治後の日本という国は、単なる侵略国家・軍国主義であったと認識してしまう事は、自然の摂理ではないだろうか?

 

まるで自らの国を自ら陥れるような教育方法だと、疑問さえ感じる。                       

海外でイジメられる日本人

アメリカで留学中の日本人学生は、中国・韓国系の学生から歴史問題で抗議され罵られても、自国の近代史をよく知らない為何も言い返せず悔しい思いをするという。

 

仕事の都合でアメリカに赴任している日本人家族の子供が学校で、中国・韓国系の子供から、唾をかけられたりするようなイジメを受けるという。

しかし自国の近代史を正しく教えられなかった親は、日本人はそうされても仕方ないと講義もできず、子供たちはそれに耐えてるという。

 

また「日本は性奴隷国家であった」と謂れの無い烙印を押され、捏造された記念碑が次々と建ち、そこにいる日本人達が日々侮辱されている事も現実に起こっている。

 

本国にいる我々が、遠く離れた同胞の受けている苦しみを、対岸の火事として見過ごして良いはずがない。

 

なぜ日本人は、自国の歴史をきちんと学べないのだろうか?

なぜ、自国に誇りを持てるよな教育が出来ないのだろうか?

 

弊害となる近隣諸国条項

近現代史を正しく教育できない最大の理由は、近隣諸国への配慮である。

当然ながら近隣諸国とはアジア諸国をさすのではなく、中国・韓国だけの事を言う。

近隣諸国条項というものは、簡単に言えば中国・韓国を刺激しないような教科書を作りましょうという規定だ。

 

近隣諸国条項の規定に至る事件はここでは省くが、できたのは1982年である。

この時期の日本はアジアで唯一の先進国であり、近隣諸国との格差は歴然たるものがあった。

先の大戦でアジア各地に侵攻し戦争の被害をもたらした敗戦国の日本が、一人だけ勝ち組にいたのだ。これは見方によっては、大変不公平な構図に見えてしまうだろう。

殺人犯が出所しその後成功して富を得たが、被害者はそんな加害者を尻目に貧困にあえいでいるようなものである。

戦後の我々が国家として、アジア諸国に対し多大な支援や援助を行ってきたのは、加害者意識の表れであり、この近隣諸国条項もその一環であることは事実だろう。

こうした反省によるアジア諸国との関係改善の為の努力は、加害者として当然の事である。また、決して恩着せがましい事を言うわけでもなく、見返りを求めたり・交渉の材料にしてこなかった日本は誇れるものである。

 

だが、同時にこうも考えてしまう。

日本はどこかで、上から目線で近隣諸国と接していたのではないか?

中国・韓国が主張する歴史問題を、子供が駄々をこねている程度の認識でしか、取り合って来なかったのではないか?

おもちゃを与えれば、子供はおとなしくなると思っていたのではないか?

 

ハンデの重さ

子供と大人が何かスポーツをするとしたら、当然ハンディキャップがいるだろう。

事実、日本は自らハンデを背負い近隣と接してきた。

この行為が間違っているとは思わないが、ハンデの内容に教育が含まれている事は致命的な欠陥であったと思う。

 

国家を形成するのは国民であり、その国民の民族としてのアイデンティティを形成するのは教育である。

そしてもっとも重要なのが歴史認識である。

古今東西、歴史から学べの類の格言は数々言われ続けているのだから。

 

近年、中国はGDPで日本を抜き韓国企業は日本の企業を凌ぐ活躍を見せている。

子供は大人になり、いつしか対等な関係を築くようになった。

対等になった時に初めて、我々はハンデの重さに気付いたのである。

 

昨年、第2次安倍内閣は近隣諸国条項を見直す方針を決めた。

これは当然そうあるべきであり、高く評価したいと思う。

そして、今回の検討されている近現代史の設立を一刻も早く実施し、ゆくゆくは義務教育に導入する所まで発展してもらいたいと願う。